「なにごとにも、準備が大切」
当たり前のようなタイトルに思うかもしれませんが、実は、これが本当にできている環境はそれほどないかもしれません。最近、各種イベントに参加したり、学生たちに「ものづくり」を始めるキックオフ勉強会に参加したりとしていて、強く感じました。
ざっとあげると、
ゲーム開発の環境
ゲーム人材採用の環境
ゲーム開発人材・育成の環境
など
少なくともわたしが目にできているのは、ゲームやエンタテインメントに関する業界くらいしかないのですが、散見しているように思います。
あ、ちなみに今回のコラムは、「誰誰が悪い!」とか「犯人探し」をしたいわけではありません。どちらかというと、「できていると思い込んでいることの確認」をしていただきたいという、警鐘の意味からの物であると思ってください。おおまかにわけて、
準備不足
目的意識の欠如
の2つにわけることができるかもしれません。結果的には、相関性も高い項目ではあるのですが…
■準備しないで、とりかかると、うまくいくのは運しだい…
ゲームの開発、採用イベント、教育、どこにおいても、
企画、運営する側
受け手として履行する側
どちらのサイドにも、ある程度の準備が必要で、かつ、最低限満たしていないといけない、スキルセットや、マインドセットがあると思います。そして、発信者と受け手のある種のコンセンサスが、必要かと思います。(予定調和ではないですが)
たとえば、ゲーム開発の教育の現場の場合…当たり前ですが、
「教わっていないこと・知らないこと は、できない」
が、大前提としてあると思います。運営側、講師側は、「経験者」であり、しかも同じスキームを何度も繰り返してきているため、「良く知っている」状況、環境なわけですねw
まあ、大学だろうが、専門学校だろうが、これは、油断をすると起こることだと思います。また、初めての試みである場合にも、運営側、講師側は、「企画者」であり、内容を知っている状況となります。
つまり、教える側は、情報も経験も豊富なので、1を聞けば10を知る、とまではいいませんが、まあ、1を言えば、普通に1が伝わるわけです。ですが、それらを受け止める学生側、受講側の方は、必ずしもそうとは限りません。たかだか、
用語1つ
ツール1つ
とっても、プロや経験者からしたら、「知っていて当然」だと思うかもしれませんが、さすがに、知識としてないこと、これまで経験することができていないことを、「知っている」のは難しいですし、さらに、「ふつう、そうは考えないだろう?」というようなことも、「そもそも」を知らなければ、考える方法も知らない、さすがに、訓練も道具もなしでは、高尾山(標高600m前後)すら登るのは難しいわけです(実際に遭難しかねません)
教育機関の役割は、ゲーム開発という山を登るために必要な、
スキル
用語
ツール(環境)
技術
経験
を如何に、順序よく教え、習得させていくか?が大事になってきます。
ただ、何度も漫然と、GAME JAMとかプロトタイピングを繰りかえしていっても、そこに成長は望めません(ゼロではありませんが)
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